死後のアカウント

どうも、結局積らなかったチーフ747Pでございます(笑)
さて今日はネットニュースでまた面白い記事を見つけてしまいました。
しかしながら、なかなか考えさせる記事でもあります。
それは『死後のネットアカウント』です。
確かに今まで、自分自身の死後については多少なりとも考えたことはありましたが、ネット(SNS)に関しては気にも止めていなかったことですね。
Facebookでは『追悼』という形を取っていたり、Twitterでは家族や友人が故人のアカウントを引き継ぐことは可能で故人の代わりにツイートしたりと様々でした。


※ニュースソース
自分が死んだら、FacebookTwitterのアカウントはどうなるのか:ライフハッカー[日本語版]
http://www.lifehacker.jp/sp/2014/01/140118deal_with_death.html➔.
では、仮に『自分が亡くなったらどうなるのかな?』と考えてみました。
おそらくですけど、アカウントはそのままで放置という結論が…
あくまでも対処していない状態ですが、対処していたとしても周りからの反応は稀薄かと思っています。
これは、長い間ネットをやっていての体験からなので全てがそうとは一概に言えません。
しかし悲しいことですけど、特にネット上では『一期一会』悪く言ってしまえば『来る者は拒まず、去る者は追わず』と言った感じで
サーバーがサービス終了などで無くなっても、そこで交流が途絶えてしまえば大半はそこで終了で
再び会う機会は極めて低いと言っても良いのかもしれないというのが生きてる時でもあることなので
先程述べた通りになるのかと思っています。
裏を返してしまえば、生きていても同じことなんだと考えています。
まぁだからこそ、こうして自分が生きていることの足跡を残すことで周りに知らせているのかもしれません。


今日は、尾崎 豊で『路上のルール』をお送り致します。

壊れた扉から

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